ふりかけ

子供のころふりかけというと、鰹節をあったかご飯にかけて
食べるのが好きだった。
しかも鰹節けずり器で作った鰹節。

カチカチの鰹を削る音と、出来上がった時の香りは格別。
旅館ではもちろんだったが、母の実家(東京洗足)でも
鰹節というと削るのが当たり前だった。
そんな形で食べるのは現在なかなかお目にかかれない。


今ご飯にかける「ふりかけ」は多種多様なものが出ている。
定番モノからこんなものまであり?というものも。

そして私は、このたび素敵なふりかけに出逢いました。




「思わず舌鼓」
素敵なネーミングではないか。

品物をあけると「ご挨拶」なるものが入っている。
使用している鰹節は「枯れ節」と呼ばれ、一般市販品としては
出回らないものとのこと。

そして一般的には30日程度で出来上がる鰹節を、
120日以上かけて完成させている。
何と贅沢だろう。

これぞ職人の技。
日本人で良かったと思わせてくれる。

今夜早速味わってみよう。

ハバロフスク報告会4

日本はどこでも蛇口をひねれば水が出る。
そしてその水は飲むことができる。

海外に行くとこの日本での当り前が、
ありがたみに変わるのである。




朝起きて蛇口をひねったら、茶色の水が・・・。
夜寝る時に蛇口の水で口を濯いだとき、
いささか鉄の匂いがあったが、その正体が分かった。
15分ほど出していたら、



これでも「ん〜〜・・・」と唸るところだが、
最初があまりにもインパクト有りすぎ。
我慢してシャワーを浴びることにしました。

もちろん歯を磨く時はミネラルウォーターを使用しました。

こういうことを経験すると、少々のことでは驚かなくなります。

ホテルの朝食は今ひとつでしたが、街中の食事は美味しいものだった。
ランチはいつも同じところに行ったが、日替わりメニューなので
座ると勝手にその日のメニューが運ばれてくる。
250ルーブル(およそ1,000円)





これが美味しい。
ハバロフスクの家庭料理といったところです。

そして講座も終わり最終日の夜は、ウズベキスタン料理を堪能。





ニシンの塩漬けや茄子のチーズ揚げ、羊肉のシチューなど
出てくるもの全て美味しい。

サービスも気が利いていて心地よいものだった。

飲食店は市内にたくさんある。
大陸のためだろう。
いろんな料理が勢揃い。

旅の思い出に「食」は欠かせない。

ハバロフスク報告会3

早いものでもう6月。
今日もたくさんのお客様で賑わっています。
本当にありがたいこと。

2003年6月に世代交代した時には、
土曜日であったとしても空室がありました。
少しずつ改善を進めて今日がある。
その当時最初にやったのが掃除と接客の見直し。
お金をかけずに、やれるところからまず始めた。

私がハバロフスク市内にある3カ所のホテルを視察したが、
掃除はまあまあとして、接客が・・・。

事前に視察時間や内容を伝えているはずなのに、
フロントに行っても対応が今ひとつ。
通訳のかたが、「いつもこんな感じなのです」と言っていた。

気を取り直して支配人が館内を案内してくれるが、
ベルボーイの前を通過してもこちらに挨拶をするわけでもなく、
壁に寄りかかって支配人に挨拶。
(もちろん私たちには挨拶無し!)

レストランを見せてもらっても、挨拶は無し。
レストランのスタッフはピアス有りで私服のホテルもあった。
国民性と言ってしまえばそれで終わりだが、
世界を相手に考えるならば、改善する必要を感じた。

接客する人は愛想が無いが、バックヤードのスタッフや
掃除のおばちゃんは優しかったなぁ。

私がホテル視察をし講座をしているのを聞きつけて、
ロシア国営放送が取材にきた。

http://www.youtube.com/watch?v=h8qsTkwqVBI


私の声に通訳がかぶっているので何を言っているか
わからないのが残念だが、
いくつかの質問の中で、
「どんな人材が必要と思いますか?」
といわれたので、
「コンシェルジュのような人材が必要」
と言った。

一歩先行くサービスの模範となる「コンシェルジュ」。
お客様が何を考えているのだろう、
何を求めているのだろう、
どうしたら喜んでくれるだろう・・・

そういう人への優しさ、愛情が必要だと感じた。


私が宿泊したホテルの売店での出来事。
ミネラルウォーターをたっぷり買い込んでレジに行くと、
何やらロシア語でいろいろ言っている。
こちらが英語で話しかけても通じず・・・

スタッフが電卓を取り出して何やら数字を打つではないか。
12ルーブル。
私が困った顔をしていたらおもむろに棚からガムを取り出して
レジで「ピッ!」

ホテルの売店なのにおつりが無いようだ。
あっけにとられているとレジ袋に入れて、はいおしまい。

いくら経営者が日本の顧客満足を勉強しても、
働いているスタッフがこれだもの。
新規オープンのヨーロッパ系ホテルにお客様が流れるのがわかる。


隣国のことだが、今までの日本旅館ももしかしたら似ていたのかもしれない。
明治・大正・昭和初期の湯治場の写真を見ると、
相部屋で泊めてもらっているという感じ。
宿側も「泊めてやっている」という認識だったのかもしれない。

時代が進みレジャーという言葉が出始めたのは1973年から。
それまでは旅行というより「帰省」といったものだろう。
本当に旅行を楽しんだのは裕福な人。

さてこれから私たちはどの方向へ進むのだろう。


次回の報告は、写真付です。
なぜ私がミネラルウォーターをたくさん買ったのかがわかります。